ニューヨーク夢幻(ゆめまぼろし)のごとく住み 日影眩 <その9・2006年8月>
Living in New York as in a dream or fantasy, by Gen Hikage (artist)

日影眩プロフィール:画家。個展、グループ展歴多数。1994年よりニューヨーク・ブルックリンに滞在。
1994年7月から2006年8月まで、月刊「ギャラリー」誌に 「日影眩の360°のニューヨーク」(ニューヨーク・アート情報のレポート)連載、2000年9月に同名の単行本を出版。

楽しい、しかし暑い、ブルックリンの夏

暑い日差しを浴びるプロスペクト・プレース 36℃を示す室内の温度計
 今、デスクの横の柱に掛けてある温度計は35℃を示している。華氏95°Fである。日差しは強く風がない。古い扇風機が音を立てて回転している。近所のA子さんが電話してきた。「日影さんももうクーラー買った方がいいわね」という。ご自分のところは、クーラーが効いていますよ、という。これ以上にどんどん上がっていったら頭の状態はどうなるのだろうと思う。昨夜は何か何もかもめちゃめちゃになってしまっているような気持ちがした。頭が熱波で取り巻かれているというのが今の感じだ。何かあまり考えることが出来ないような気がする。前の、さらに前の住人が残していったと思える扇風機をこっちとあっちの部屋にも配置した。だいぶ前にかみさんが持ってきた、東京モー娘のうちわを本当に使った。あまり食欲も進まず作るのも面倒なので鴨なんばんにした。鴨の代わりにターキーの肉を使う。この肉はプロスペクト公園の入り口で毎土曜日ごとに開かれるグリーンマーケットのターキーファームで買ったもも(thigh)肉だが、めちゃくちゃに安い。持って帰ってみるとびっくりするほど大きい固まりが、6ドルとか7ドルである。これの白い脂肪部分を取り除いて、一食分ずつに分けて冷凍庫に入れてある。それで長ネギはないので近くのスーパーストア、メットで買った小さいネギを、一本斜めに切ってから、ごま油を付けてから直火でちょっと焼いて、それからストレートのソバつゆカップ一杯にターキーの肉を切って入れて煮立て、5分間ゆでたそばをどんぶりに入れてさっきのつゆを掛けて食べた。何、そばの袋に書かれたレシピ通りにやったのだ。しかしちょっとこのソーホーに昨年出来た日本食品チェーン店、サンライズマートで買ったヤマキのソバつゆは濃すぎた。
 さて食べながらテレビを付けたら、ブルンバーグ市長の、緊急声明のライブをやっている。本日がピークとされる熱波の注意と節電協力の呼びかけだ。最高40℃になるという予想だ。こんな時は皆がクーラーを点けるから電力供給がパンクしてしまう恐れがある。けれどこれで停電にでもなったら、最近カリフォルニアで起きた、熱波による死者100人という出来事がニューヨークでも発生してしまうだろう。さっき私は恐れを感じて懐中電灯とろうそくの場所を確かめ、電池を新しいのと入れ替えた。思い出してみると03年の8月、ニューヨークで広範囲にわたって停電して、高級地から回復しているという話だったが、私のところは次の日の夕方まで回復しなかった。テロかと恐れたが、どこかカナダの方の送電線がダウンしてしまったという話だったと思う。昔77年にニューヨーク大停電というのがあって、映画さえ作られたが、でその夜に身ごもって生まれた赤ん坊がいっぱいいた。03年もそういう一夜漬け(?)ベビーブーマーというのがあったのに違いないが、近所の私の友人、ベンとエバにも赤ちゃんが生まれたので二人は籍を入れて、今ではその息子ジョセフはもう歩いているが、計算してみることもないが、どうもさかのぼると大停電日に至るようなのである。けれど一人暮らしの私は、ベビーを仕入れる相手もいないので、することもなく、市長選の時にブルンバーグ氏が全市民に配ったと思えるポケットラジオで、情報を聞いてただ寝ているしかなかった。テロではないと繰り返していた。面白いことに電気を使わない旧式の受話器の電話だけが使えたのは見つけものだった。数年前、電話会社ベライゾンに高速インターネット接続DSLの申し込みをした時に、それがつなげる地域かどうかと問題になったが、つなげる地域でも接続には手間が掛かったのを思い出す。この街では戦前の電話線がまだ使われているので新しいことをするにはいちいち問題が発生する。つまり送電線に関しても事情は同じなのである。それからまた不安になって、水をブリタ(BRITA)浄水器に入れて浄水し、ボトルに入れて冷蔵庫に保存する。まさか水道は出るだろうけど。まあ、昨年の地下鉄職員のスト騒ぎの場合もそうだが、ニューヨークというのは不安をもたらす巨大な前世紀の怪物都市なのである。東京やベルリンのように一度焼かれてしまえば良かったね。そうすれば9.11で原爆でも落とされたように騒ぎ、あげくはアフガニスタンからイラクにまで攻め込んで、毎日10人前後の若者が戦死者としてテレビで発表されるというような泥沼戦争に巻き込まれなくて済んだ。もっともその実行者のブッシュ大統領は、石油の世界的な高騰で、一族が関わる石油資本がもくろみ通りの大儲けでほくほく状態だろうが。そのことがほとんどいわれなくなったのも不思議である。
 この暑い日にブザーが鳴る。何だと思ってのぞいたらUPSの車が止まっていて、ターゲット(Target)から大きな箱が届いた。出てきた大家が「見たところは中国製のようだ」という。二日も早く届いたので気が付かなかったが、オンラインでいすを注文したのだ。これまではソーホーで拾ってきたオフィスチェアを10年ほども使っていた。最近はボロボロ、ガタガタになって、この暑さをいっそううっとうしく感じさせるので、とうとう注文した。確かに中国製で組み立て式だ。組み立ててみると、これはなかなか良いいすだった。ターゲットはブルックリン、アトランティック・アヴェニューに大きな店を構える巨大小売業だが、店内には売り上げの一部がアートの支援に使われると誇らしげに表示してある。実際に一昨年のニューヨーク近代美術館の再オープンには、大口の寄贈者として、筆頭にマーク入りで挙げられて感謝されていた。アメリカは何かとおぞましい社会だが、カルチャーを大事にすることに掛けては尊敬に値する社会だ。中国製なのに送料込みで115ドルはちょっと高いと思うが、一部がアートの支援に回されていると知れば納得した気持ちになる。もしビックカメラが同じことをしていたらどれほど素晴らしいことだろうか? イヤー、ことカルチャーに関していえば日本民族は戦後60年貧しい環境のままでよく耐えているねえ。
 さてこの後私のデスクの横の温度計が40℃を指すかどうか見物だが、今午後5時過ぎに36℃(写真)である。室外はすでに40℃になっているのかも知れない。今日はキャナルストリートにある画材店、パールペイントにキャンバスフレームを仕入れに行く予定だったが、40℃になると聞いては死者の筆頭にあげられる高齢者としては、まさかこんな日には出かけられない。けれどもう耐えられない暑さになったら、10分ほど歩いたところにあるブルックリン中央図書館に避難するか、パークスロープのセブンス・アヴェニューにあるスターバックスにでも行くか?と思う。しかし逆にクーラー効き過ぎで長くはいられないかも知れないが。いや近くの喫茶店「マディ・ウオーター(コーヒーの意)」に今から行こうか? 私はワンフロア、ツーベッドルームを一人で借りて、前と後ろにそれぞれ大きな三つの窓があり、風通しは抜群なのだが、今日は風がない。その部屋の話は次の機会にまた。次の機会? それが怖い。
          
久しぶりの更新です。
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 なおこれを利用してニューヨークの案内をさせようなどというお方は、特別な場合(相当に魅惑的な佳人など)は除き応じかねますのであらかじめご承知おき下さい。
日影眩

●<その1>ブルックリン、プロスペクト・プレースへ
●<その2>YMCAへ
●<その3>ハローウィンへ
●<その4>午前3時のサブウエイへ
●<その5>クリスマス・パーティへ
●<その6>ドイツを旅した(1)へ
●<その7>P.S.1「大ニューヨーク」展/2000へ
●<その8>ワールドトレードセンター崩壊
●<その9>楽しい、しかし暑い、ブルックリンの夏
●<その10>グリーン・マーケット 3月10日土曜日、晴れ、
●<その11>ゴッド・ブレス・アメリカ(神はアメリカを祝福したまう)
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