ニューヨーク夢幻(ゆめまぼろし)のごとく住み 日影眩 <その3・11月>
Living in New York as in a dream or fantasy, by Gen Hikage (artist)

日影眩プロフィール:画家。個展、グループ展歴多数。1994年よりニューヨーク・ブルックリンに滞在。
1994年7月から2006年8月まで、月刊「ギャラリー」誌に 「日影眩の360°のニューヨーク」(ニューヨーク・アート情報のレポート)連載、2000年9月に同名の単行本を出版。

ハロウィーン

 P.S.1 Contemporary Art Center

 10月31日金曜日に私はYMCAへ行った。3時半までにプールに入るには時間がなかったので、途中でオニオンの乗っているパンとアイスコーヒーを買って、食べながら歩いて行った。泳いだ後サウナにも入って外に出ると、もう4時は過ぎていたのだが、街には手にカボチャの手提げなどが目立つ様々なバッグをぶら下げた無我夢中という様子の子供たちの姿が目立った。子供たちは女の子は黒装束でほうきを持った魔法使いや、ミツバチ、あるいはエリザベス朝時代(ビクトリア朝かも知れないが)の貴婦人というような扮装、男の子はバラエティーがあって、目立つのはドラキュラ、死に神、パイレーツ、ピエロ、忍者といったところ、中にはお城になっている子もいる。まあこのふん装を見るだけでも楽しいけど、付き添いの大人たちもまた子供に負けないふん装をしている人がいて面白いのである。人の注目を集めていたのは、小さな女の子を連れた、一見、フランケンシュタインの様な服装をした男性で、彼はしかし首がないのである。
 
 セブンス・アベニューのほとんどのレストランも含めたお店が子供たちのためのお菓子を用意していて、やってくる可愛らしい扮装の子供たちのバッグに一つずつお菓子を入れて上げているのである。これが子供たちをすっかり心ここにあらず風に熱中した顔付きにさせてしまっている原因なのであるが、実際この夕のセブンスアベは小さな奇怪人で溢れ返っていた。私はそこで頭のてっぺんに一本の角を生やした鳩馬君を連れたグラフィック・デザイナーの容子さんに会って、鳩馬君と一緒に写真に撮られた。この地に住む日本人の家族何組かと歩いていると彼女がいったが、なる程忍者だけでなく、手作りだが源平時代のよろい武者という出で立ちの子供もいた。残念ながらこの日ちょうどフィルムを切らしていてカメラを持っていなかった。お見せできなくてご免。
 
 さて、私は昨日頼んであったプリントを受け取ってから、フラットブッシュ・アベニューのちょうど向かいにある薬局に行って、3ドル分のロット(宝くじ)を買った。土曜日の夜の抽選で、今回は10ミリオンダラーと電光文字が流れていた。このニューヨーク・ロットは1ドルから買える。1から54までの数字から6個の組み合わせを選んで、それを二組作るとそれが1ドルで、コンピュータが数字を打ち出した券をくれるのである。はじめは私はまんべんなく散らばるように数字を選んでいたのであるが、ある時ほとんど1から10くらいまでの数字だけのジャックポットが出て、考えてみれば1.2.3.4.5.6.という番号が出る場合もあり得るのだからと気が付いてからは、出鱈目に数字を選ぶようになった。もっとも毎回買うわけではないが、40ミリオンとか、70ミリオンなどというとんでもない額になるときは、張り紙が出るので気が付いて買うのであるが、当たり前ですが当たったことはない。
  
 さて帰り着いてビールを飲みたいところであるが、実は月曜日にチャイナタウンで買った海老が半ポンド分冷蔵庫に残っているのでそいつを何とかしなければならない。私は昔から海老のかき揚げ天というものが好きなのである。で、実は何度かこれまでに試みているのであるが、この地で一体どの油を買えば天ぷら油としてピッタリなのかという知識がない。まさかイタリア輸入のBERTOLLIなどという高級サラダ油を使うわけにはいかない。これまではコーン・オイルを使っていたのであるが、店で調べてみて今回はベジタブル・オイルというのを使ってみることにした。これは原料は大豆とあるから良いだろうと思った。
 
 折角天ぷらにするのだから、ついでに冷蔵庫にあった茄子一個とマシュルーム数個も揚げることにした。実は一応、小麦粉は冷えた水で溶いたらよいとか、料理の本で研究しているのですが、まあ、そう正確にはやれないので、すべて大ざっぱな揚げ方です。実に本にはどれくらい油の中におけということは書いてなかったりする。腹は減っているし、のどは渇いているのに、実にしばらくは天ぷら揚げでお預けです。しっかりと大根もあるので大根下ろしもたっぷりと作って、それからコリアの店でキッコーマンのTEMPURA ディッピング ソースというものまで 買ってありますので、イヤー、ビールで、このかき揚げ天をやったら、「うまいっ!」今回のこのベジタブル・オイルは最高、ピッタリでした。茄子も、マシュルームも悪くなかった。
 
 そこで今日のお昼は、やっぱりマシュルーム2個と(何しろ早いとこ食べないと腐ってくるのが一人暮らしの辛いところです)葱一本、それに人参を少し切って、これを小鍋で煮て、後から昨日のかき揚げ天などを加えて、やはりチャイナタウンで買ってあった3食分、2ドル10セントのジャンボ・生うどん、何とこれは日本の製品、それも神戸、山本商事というではありませんか、オイオイ(泣く)、これを湯通しして、一方でドンブリに加薬を煮たお湯を一カップ分入れて、スープの元を加えて、天ぷらうどんということになりました。夜? いや? 夜はやっぱりまだ残っているからかき揚げ丼?。

  Ms. Masako Nishioka
Jack Smith: Flaming Creature                      

 さて金曜のハロウィーンの夜、かき揚げ天にビールをやりながら、上がってきたプリントをチェックしますが、これは主として、P.S.1の新装オープン展を撮影したものです。P.S.1というのはニューヨークでももっとも良く知られた非営利の美術館級のギャラリーで、ロング・アイランド島クイーンズ地区にあり、ニューヨーク市や、企業などの寄付によって運営されていますが、地域のカルチャーに貢献するというだけではなく、ヨーロッパやアジアの若い作家たちにもチャンスを与えるため、その活動は世界的な広がりを持ち、現代の美術に少なからぬ影響を及ぼしていると考えられています。
 
 金曜日のニューヨークタイムズ紙は「ウィークエンド版」を含み、美術の主要ニュースが特集されていますが、実にこの日のアートページはこのP.S.1の新装オープン展のレビューが特集されているのです。
 
 私は10月26日のリボンカッティングとセレブレーションに行ったのですが、ビール、ワインなど飲み放題のこのオープニングは満足に作品を見るどころではない超満員でした。
 
 それでファッション・レポーターの西岡聖子ちゃんから電話があって、一般公開の初日である29日に誘われた時には、もう一度行くつもりだったので応じました。まあ、美しい若い女性に誘われれば、断らないことになってもいますが。彼女は日本のラジオのパーソナリティでもありますので、これは取材なのですが。
  
 P.S.1の意味はパブリック・スクール・ワンという意味で、元はこれは公立学校だったところです。その教室に作品が展示されている。日本の作家も、ビデオの平川典俊、インスタレーションの村井啓乗の他、アジア・カルチャー・カウンシル(ロックフェラー財団の系列組織)が選んだ今年度助成の日本代表だが、実は中国人の王新平さんも自分の与えられたスタジオをオープンルームにして、この日も、DNA組み替え食品が人体に与える影響の恐れと警告をテーマにしたインスタレーション作品を見せていました。
 
 ここで代表に選ばれた若い作家の内から続々と国際的に認知される作家が登場しつつあると思えますから、お断りしておきますが仲間が集まって展覧会をしているという様なお話ではないのです。私としてはこんな外国の組織ではなく日本人の作った組織や支援団体が支援する作家の内から有力な国際級作家が登場してもらいたいと思うのですが、経済大国(今ではそれも怪しいようですが)日本には、そんな支援組織すら存在しません。こんなことでは若い女性のアーチストの場合は日本のカルチャーでもあるお妾にでもなってアートをやる他はありませんね、「お妾アート」なんちゃって。冗談じゃないよ。
 
 それはともかく、この幕開け展の内の一つ、ジャック・スミスの回顧展は興味深いものでした。32年に生まれ、89年にNYでエイズで死んだ映画製作者、カメラマン、パフォーマンス・アーティストは、ウオーホルのアングラ映画のレギュラー出演者でもあったことで知られますが、美術界でほとんど出逢うことはまれであったとされる仕事において、喧噪とエロス、サイケデリックとエキゾチシズムに満ちた急進的で馬鹿げた芸術を作った気難しい男とされますが、そのもっとも注目すべき部屋は、まさにファッションと彫刻が合体する衣装を着けた人形たちでで満たされていました。私は彼のこのエキゾチックな衣装のデザインの内にハロウィーンの日に、幼児だった彼が着けてもらったかも知れない奇妙で幻想的な衣装に思いを馳せました。間違いもなく彼の「シンドバッド」はバグダッドの、ではなくてアメリカのカルチャーに根ざしていると思えました。
  
 また、3年の歳月と850万ドルの改造費を掛けて再開された新P.S.1は、しかし元学校であっただけに屋根裏部屋や、屋上または地下に面白い空間があり、観客にはしごを登り、暗闇に這いというような冒険を課す、人のいないスリリングな空間を利用してのインスタレーションなどに楽しめるものがありました。しかし美術の話は肩が凝るのでこの辺で、よそ行き言葉とともに止めましょう。
  
 ともかく帰り地下鉄駅で一緒になった王さんも誘って、チャイナタウンで聖子ちゃん推薦のかに味噌入りショウロンポウでビールを飲んだが、これは話も面白く楽しい夜になりました。
  
 ところで何時作品を作るのですか?と聞かれると弱い。まあ、そのうちにやれる時はやるよ。


●<その1>ブルックリン、プロスペクト・プレースへ
●<その2>YMCAへ
●<その3>ハローウィンへ
●<その4>午前3時のサブウエイへ
●<その5>クリスマス・パーティへ
●<その6>ドイツを旅した(1)へ
●<その7>P.S.1「大ニューヨーク」展/2000へ
●<その8>ワールドトレードセンター崩壊
●<その9>楽しい、しかし暑い、ブルックリンの夏
●<その10>グリーン・マーケット 3月10日土曜日、晴れ、
●<その11>ゴッド・ブレス・アメリカ(神はアメリカを祝福したまう)
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