ニューヨーク夢幻(ゆめまぼろし)のごとく住み 日影眩 <その4・5月>
Living in New York as in a dream or fantasy, by Gen Hikage (artist)

日影眩プロフィール:画家。個展、グループ展歴多数。1994年よりニューヨーク・ブルックリンに滞在。
1994年7月から2006年8月まで、月刊「ギャラリー」誌に 「日影眩の360°のニューヨーク」(ニューヨーク・アート情報のレポート)連載、2000年9月に同名の単行本を出版。

午前3時のサブウェイ

 West 4 in the daytime

 NYクイーンズの、マンハッタンからかなり遠く離れたところへ、あんまり面白くもない用で行って、面白くもない理由で遅くなり午前一時近くに人影の無い町を駅へ急いだ。自分が住む町は見当が付いてもニューヨークの場合、マハッタンはともかくその他の地域は深夜歩くのに気持ちの良いものではない。途中でチャイニーズの若い男にすれ違っただけだった。それから暗い地下鉄駅で数人の作業員が、なぜかあふれた水をはけさせる作業をしているのを通り過ぎて改札を入って地下2階のホームに降りた。だれ一人、人は居ない。  

 やがて大柄な、そう柄の良さそうでもない黒人の男が降りてきたので、私は少しその男の値踏みをして「大丈夫だろう」と見当を付けた。その男は居心地悪そうにうろうろすると、すぐに上の階へ戻ってしまった。しばらくして私も落ち着きが悪いのでそこへ上がってみると、ベンチが見えて、深夜のウエイティング・エリアだという表示があった。ニューヨークでは深夜には、駅員の姿が見えるところを待ち合い場所に指定して表示しているのである。その男は切符売り場の駅員に大声で話しかけていた。まもなく電車が来たので私はホームに戻って入ってきたEトレインに乗ったら、その男もすぐ私の後ろに乗っていた。  

 Eトレインなら、少し時間が掛かるが、ウエスト4で、私の住むブルックリンのセブンスアベニュー駅に行くD、またはQトレインに乗り換えられる。深夜には1時間に1本くらいしか来ない場合もあるトレインに思ったより早く乗れたので、私はほっとして座席に座って、7〜8人は居る乗客を見回した。次々と聞いたことの無い名の駅に止まるが、初めて来た土地だし、その上に来たときはRトレインだったので、駅名が違っていても当然と思った。しかし6〜7駅も過ぎたところで、あまりに無関係な駅名が私を不安にして、「もしかすると反対方向に乗ってしまった」のではないかと心配になった。一番近くにいるプアホワイトという印象の男に聞いてみたら、何と逆の方向に走っていたのである。

 慌てて、幸い大きな駅Union Turnpikeに着いたので乗り換えることにして、反対側のホームに移ると、ここには数人連れの若い白人の男たちや、数人の地下鉄の作業員が居た。ここでもそれほど待たないで、やがてダウンタウン行きのFトレインが入ってきて、乗った。乗客は、私の他に座って寝てしまっている黒人の男が、それぞれ離れたところに3人いる。Fトレインもウェスト4に行くのである。  

 けれどもまたもやラインが変わってしまったので、駅名になじみがない。いやもともと知らないのだが、けれどもやがて自分が始めに乗った駅に戻れたのでほっとして、これで一安心と思っていた。ところがその後がいけなかった。いつまでも知らない地名と思っていたら、やがてルーズベルトという駅を通過した。ルーズベルト島はイーストリバーに浮かぶ島である。確かに駅もあったと記憶していた。そこからはもうレキシントンアベニューがすぐのはずだ。ところが、すぐのはずの知っている駅がいくら経っても現れない。不安になって地図を見ても今止まった駅の名前も見あたらない。一体どっちへ向かっているのかと、不安が高まって、ともかく大きな駅Queenz Plazaに着いたので、トレインを降りてだれかに聞こうと思っても人影がないのである。うろうろしていたらトレインが出てしまった。

 保守作業員が7〜8人も線路を歩いて来たので、彼らに聞いてみた。「ウエスト4は今のトレインで良かった、見過ごしたよ」という。要するに私はマンハッタンにはまだまだほど遠いところで右往左往していたのである。ここでも、しかしそれほど待たされずに、ほどなく今度はEトレインが入ってきた。Eトレインの中でも駅名を見たりして落ち着きの悪い黒人男が、レキシントンアベニューの駅名を見てから腕組みして目をつぶったから、不安になるのはだれしも同じなのである。ここでは深夜には断りもなく(断りはあるが気付かない場合が多い)、路線が変更されていたりするのである。  

 まだNYに来たばかりのころ、私はブルックリンのグリーンポイントに住んでいたが、ある時夜中の1時ごろに、14丁目からLトレインに乗って、ブルックリンのロリマーストリートまで来て、Gトレインに乗り換えようと、いつものホームで待っていた。するとGトレインは思っていたのとは逆の方向から来たのである。なぜかもう一人待っていた男は乗らないが、私は自分の勘違いだろうと思って、乗った。すると聞いたこともない駅に着いてしまったので、慌てて降りたが、人一人いない。その時は本当に自分が何か異次元の世界に入り込んでしまったのではないかと恐怖を感じた。  

 気を取り直して逆に来たのだろうと、反対側に移るつもりで階段を上ったら、荷物一式を持った、ユダヤ人風のあごひげのホームレスの爺さんが、キップ売り場から見えるところで階段に座っていた。改札を出るわけにも行かないので、大声でキップ売りの駅員に「ナッソウアベニューに行きたいがホームはこっちか?」と叫んだら、何と、私が今出てきた側を指さすので立ち往生した。何しろ一時間に何本もトレインは来ないのに人一人いないガランとした深夜の地下鉄駅だ。いよいよ「世にも不思議な物語」の主人公になった気持ちになってしまった。  

 私が戻るのにもためらっていると、ユダヤの老いたる民が何かいっている。歯の抜けた口から出る言葉は聞きにくいが、良く聞いてみると「このラインは深夜には上下のトレインが同じトラックを走る場合があります」といっているのである。今がそうだと。「ヒエーッ」と私はあきれてしまった。日本の民にはそんなことがあり得るとは想像だに出来ません。それでまたホームに戻って3〜40分も待ったころ、果たして反対方向から音が聞こえてきて、階段のユダヤの貧しき民が、何事かを叫んで私を促したので、私はお礼の言葉を叫んで(サンキューといったのですが)トレインに乗り、やっとの思いで、2時ごろにナッソウアベニューにたどり着いたのであった。そういう訳で、私はすでにNYの地下鉄の勝手を知っているので、なおさらに不安が高まるのである。

 閑話休題(古いねぇ)、ウエスト4に着くと下側のホームにはもうDトレインが待っていたが、これはなかなか動かなかった。ようやく動いてブルックリンの最初の駅、デカルベアベニューに来る頃には私の乗った車両の乗客は黒人の男2人と、アジア人の男一人と私だけだったが、ドアーを挟んで反対側のイスに座っていた、小柄な30歳くらいの、そう身なりの良くない黒人の男の様子がおかしい。しきりに身体をゆすり、缶を拾ってみたり紙袋を拾いに行ってみたりしてうろうろしている。立ち上がってドアに向かって立って腰を揺すっていると思ったら、床を液体が流れてきた。私がよけて足を上げたので、彼は私に向かって言い訳した。「Oh!OK」と私は答えたけれども意味はもう一つ分からなかった。デカルベアベニューに着く寸前に彼は漏らしてしまったのである。

 ここでまた余談だが、いつか「駅のアナウンスが分からないので困る」と私がぼやいたら、私の会話のパートナーであるトム・ローチ氏が首を振って、「あれはね、私でも分からない。駅員に黒人が多いからだよ」といったことがある。黒人について差別的なことをいう時には年取ったアイルランド系の白人である彼は、周りをうかがって声をひそめていうので、〔ASS<けつ>など下品な言葉を口にするときもだが)、私はいつもアメリカの人種差別の実地勉強をさせられている気がするのであるが、まあ、<ブルックリン訛り>なるものもあるそうだが。ついでにもう一ついうと、私が単語の後ろのSを抜かしたりすると、「ヒカゲ、ヒカゲ、」と声をひそめて、あたりを見回して、「黒人はよくSを抜かすんだよ」。どうだ、恥ずかしいだろう?とでもいわんばかり。  

 さて、私が降りたセブンスアベニュー駅も、降りたのは私を入れて男3人で、通りには完全に人影はなかった。アパートにようやくたどり着くともう午前3時を過ぎていた。

 7 Av in the daytime

 翌日、私はインターナショナル・センターに向かうDトレインの中で、黒人の男から1ドルで万能ナイフを買った。「それはホット・マーチャントというんだよ。盗品という意味だよ」と、万能ナイフを見て、トムが笑っていった。

 午後3時頃、彼と別れた後、インターナショナル・センターのある23丁目からFトレインに乗って、ウエスト4でQトレインに乗り換えて、セブンスアベニューに向かっていた。ハデカルベアベニュー駅に着いたら、ドアが開くと同時に、満員のトレインに乗ってきた元気のいい若い黒人が、「ハーイ、ハウアーユー!」と私に叫んだ。彼は何か、記憶違いでなければ、「○○××△△チン」というようなことを私に叫んで前を通り過ぎて向こうへ行ったので、私は「ハーイ」といったあとあきれて見送った。白人の若い女性が好奇の表情で私とその黒人を見比べた。そりゃまあ、結びつけて考えるのが難しい二人の風体ですが。午前3時のべそをかいていたお漏らし黒人で、今日は別人のように元気であった。もしかすると「あん時は顎まで来ちまってたぜ」といったのかどうか? 私にはもう他の単語を思い出せないのだが、女性には分かったから興味を覚えたのかも知れない。  

 ニューヨークでは何があったって驚くことはない。ただあの『イディオム』ってやつは何とかならんもんかな? と思うのである。それとやっぱり私の英語を聞き取る耳と、しゃべる舌は何とかならないものか。まるで私は、お母さんのいない孤児、いや、孤爺だなと思い、今から若い代理ママを見つけるのは、見込みがないなと思って、いつも一寸途方に暮れる思いがするのだ。


●<その1>ブルックリン、プロスペクト・プレースへ
●<その2>YMCAへ
●<その3>ハローウィンへ
●<その4>午前3時のサブウエイへ
●<その5>クリスマス・パーティへ
●<その6>ドイツを旅した(1)へ
●<その7>P.S.1「大ニューヨーク」展/2000へ
●<その8>ワールドトレードセンター崩壊
●<その9>楽しい、しかし暑い、ブルックリンの夏
●<その10>グリーン・マーケット 3月10日土曜日、晴れ、
●<その11>ゴッド・ブレス・アメリカ(神はアメリカを祝福したまう)
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