ーフログズ・アイの30年ー
さて、こうして1人の画家が誕生した地点へようやく辿りついて、なかなかのプロセスだったと思います。なかでも印象的なのは、あなたの卒論を「自分の教授歴中、一番面白い論文。感覚に依っているがその感覚を論理的に説明できるのだから」と評した瀬川行有先生(社会評論家としては福田定良の名前で活動)の一言です。その通り、「優れていた」のではなく、「面白かった」と言わしめたとすれば、あなたは確かに「唯のネズミ」ではなかったのです。
これをもって、いささか長過ぎた前文を締め括り、早や20年に近付くブルックリンを拠点とするあなたがアメリカで切り開いて来た広大な地平について、ほんの2、3のことを記します。この間のことは、余りに多く記録されていて、私には感想を記すだけで充分でしょう。
ほとんど全面的な「フログズ・アイ」、上方に広がる晴天とそれを感じさせる室内、昼夜を問わず、そこに流れるcleanな空気。そのアングルがどんなに急角度だとしても不純なものは一切なく、悪意の生じる暴露性が皆無であること、これは全く異例のことと思います。
それらの画像は、良く知られているように、写真の最高技術を利用して生み出されています。しかし、それに自分の持つ絵画技術のベストを重ね合わせて同一化することで、作品の真の完成に至るのです。
一見写像に何かを若干加えた程度に見え、そう見過ごされる作品が実はそうではなく、何と呼ぶのが適当かは言えませんが、誤解を恐れずに言えば、真の意味での「マティエール」によって絵画になるのだと思います。 「マティエール」という一言から、ゴッホやフォーヴィスムを想起する必要はありません。
この点に留意すると、あなたが絵画に本格的に取りかかる前に、様々な職人(アーティザン)の仕事に携わったことがプラスに働き、それが大学で「面白い哲学」を身に着けたことが加わって、今日の日影眩を練り上げたのだと、私なりに諒解した次第です。
–美術評論家 瀬木慎一 (カタログより抜粋)
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