ディア・ビーコン─メトロノースに乗って行く未知のタイムレス・ゾーン
今年の春のNY美術界の話題は、グランドセントラルからメトロノースに乗って一時間以上もさかのぼるハドソン川沿いの東岸の町ビーコンに、世界一広いという新美術館ディア・リッジオ・ギャラリーズがオープンするというものだった(5月18日一般公開)。
6月の好天のある日に近所のアクセサリーデザイナー加藤晶子さんを誘って、1時間に1本運行されるメトロノースに乗って、今や地価が高騰中という、田園にあこがれる気持ちには水を差すうわさの流れるビーコンに出掛けていった。
川沿いを走る車窓から対岸の緑や高い崖、城のような建物のある島などの景色の移り変わりを楽しんでいる内に、たちまちビーコンに着いていた。そこは澄んだ空気と降り注ぐ陽光と緑に満ちたほとんど人の気配もない静かな土地だった。
歩いて8分ほどのところに、元ナビスコ・クラッカーの箱の印刷工場の廃屋を、4年の歳月と36億円の経費を掛けて改造した広大な平屋のディア新美術館が横たわっていた。入っていくと、駐車場と公園がある。格子状に作られたコンクリートの格子の中に芝生が植えられている。そろえて植樹されているのは数種類の花の咲く果樹だという。24万スクエアー・フィートとされる展示場の広大さに驚かされる。高い天井の壁面いっぱいを占める窓はしかし中心の透明な部分は残して周りを磨りガラスで囲んで連ね、素晴らしいとはいえ作品の鑑賞を妨げるかも知れない庭の樹木の緑を巧みに遮っている。また仰角に作られた天窓はふんだんに自然光を会場に採り入れる。前庭も含めてこれらのデザインは光の作家であるロバート・アーウインの設計による。
Aerial view, Dia:Beacon, 2002. Photo: Michael Govan. (c)Dia Art Foundation.
John Chamberlain, The Privet, 1997. Installation view at Dia:Beacon, Beacon, New York. Lannan Foundation; long-term loan. Photo: Nic Tenwiggenhorn
正直に言えば、80年代ニュー・ペインティング登場以降、禁欲的で、ややかび臭いものに見られてきた、ディア新美術館の、主として60年代後期ミニマリズム収蔵作品に、私は全くアートとしての期待を持っていなかった。けれど、これまで何度か画廊で見たことのあるジョン・チェンバレンの作品が、広いと思った画廊の数十倍もあると思われる会場に置かれ、生き生きとその魅力を発揮しているのを見て、これまでの先入観を捨てて作品を楽しむことにした。
展示されている作家はいずれもディアの歴史に縁の深い作家である。蛍光管を使うダン・フレイヴィンを始めとして、ジャッド、デ・マリア、スミッソン、セラ、ウオーホル、ルウイット、マーティン、ブルジョワ、ドイツのボイス、リヒター、ダルボーヴェン、日本の河原温ほか24名。そうしてその作家を代表するといってよい作品がこの上ないゆとりを持った空間に展示されている。
目だった作品を採り上げれば、色の4本のひもを張り巡らせて、あたかもそこに巨大なガラスの板があるかのようなイリュージョンを幻出させるフレッド・サンドバックの、最小の素材と行為による作品で、巨大なスペースが初めて十全にその効果を発揮させていた。
また、アース・ワークで知られるマイケル・ハイザーの、コンクリートの床にうがたれた巨大な鉄鋼の円形と四方形の4つの穴は、めまいと恐怖を引き起こすと評判だったが、今はフェンスで遠巻きにされて、その効果を知ることは出来ない。
ディアの創設者ハイナー・フリードリッヒ(65)は71年にドイツからNYに移動し、74年にディアを設立、ディアの名はギリシャ語の導管のような「貫く」を意味する言葉から付けられたという。フランスやイタリア、ギリシャを旅した彼は、礼拝堂を見て「美術や建築は、一作家によって作られ、その場所に置かれ、文化的、精神的な巡礼の地となるべきだ」という確信を持つようになる。84年以降彼の手を放れて公的な免税の慈善団体となった今もディアはその創設者の意向を伝統として守って、このディア・ビーコンも永久展示のスペースとしてオープンした。
ディレクターは若干25歳にしてグッゲンハイム・ビルバオの副館長となったマイケル・ガヴァン(39)で94年に就任、91年以来のキュレーター、リン・クークが協力する。理事会の会長は、NYでは知られた書籍のチェーン店、バーンズ&ノーブルのオーナー、レナード・リッジオである。「私の書店の顧客は平均的な市民である」とする彼は、巨大な鉄の彫刻の作家、リチャード・セラの作品に平均的なアメリカ人の才能を認めて、感動し、即座に三点を購入してディアに寄贈した。その他理事会には大企業の相続人を迎え、資金調達に抜かりはないようである。
ところで創設者フリードリッヒはかつて自分をメジチにたとえたという。そうして「フレイヴィンはミケランジェロのように重要だ」と付け加えたという。
果たしてフレイヴィンを永久に運ぶ、NYアートのタイムカプセル、ディア・ビーコンが、ミケランジェロの天井画を保持するヴァチカンのシスティナ礼拝堂のように、数百年の後も引きも切らぬ巡礼者の群を集められるのかどうか? 定かではない。
さて6時の閉館までしっかり見て、外に出たあと、バスの運転手に聞いた、この地で評判という、美術館を出て道路をすこし右に行ったところにある四季という名のシーフード・レストランへ行って、屋外のデッキでさわやかな風に吹かれながら、私と晶子さんはビールとワインで乾杯して、エビやイカの料理を楽しんだ。
思い返してみると、あの日私たちはメトロノースの列車に乗って、過去も未来も現在もない、ディア・ビーコンという名の未知のタイムレス・ゾーンにスリップしたのかも知れなかった。 |